爆走兄弟レッツ&ゴー!!1年目
アニメ版の話ですがこの作品の大きなテーマは
「子供達の自立」にあります
大規模なコースで、超テクノロジーなマシンを自在に操り、強大な力を持った敵たちと戦い抜く子供達の活躍を描いているこの作品は
この部分だけ観ると、「大人顔負けな子供達」と言う印象が強いですが
主人公の烈と豪は一般家庭の子供ですし
藤吉は親の金や権力に頼りっぱなしですし
Jも大人の保護無しには生きられません
もちろん、そんな彼らが人間的、社会的に自立するのは10数年先となるので、アニメ内で描かれる事はありませんが
愛機の進化を通じて「精神的な自立」を巧みに描いています
彼らのミニ四駆はみな大人から与えられたものです
親に買ってもらったり、博士に作ってもらったり
最終的に育てて自分のものにしていくものの、その源流は大人の物です
しかし、大人たちを指揮してスピンコブラを自分で開発した藤吉を皮切りに
豪、烈、Jと、次々にマシンを自力で開発
子供達が大人の手から離れて巣立つ瞬間が、マシンの進化によって描かれました
そして、巣立つ子供達を嬉しくも寂しく感じる大人の複雑な心境も丁寧に描かれている事も評価点の一つですね
そしてここからが本題です
さて、この中でメインキャラの一人が抜けている事に気づかれましたか?
そう、黒沢……げふん!鷹羽リョウです
後にビクトリーズとなる他のメンバー達は自分でマシンを開発したのに
メンバーの中で一番大人っぽいリョウだけが自力でマシンを作ってないのです
原作に話を合わせた都合と言ってしまえばそれまでですが
実はここにも重要な意味があるんじゃないかなと考えました
リョウと言えは
トラック運転手(原作設定ですがアニメでも同様と仮定します)として日本中を旅している父親から離れて、山の中で兄弟二人で自給自足の生活をしています
他のメンバーが大人の保護の下で生活しているのに対して
この兄弟だけは、『既に自立している子供』だったわけですね
つまり、リョウの成長を描く上で「大人からの自立」は意味がないものになります
では、リョウの描くべき成長はなんだったのか?
それは、自立とは反対「他者を頼る事」だったのかなと
一匹狼で友達の力どころか大人の力をも借りずに自立できているリョウ
しかし、どんなに自立していても、それだけではどうにかならない事もある
トライダガーXが破壊され、ネオトライダガーを開発しようにも、上手く行かない
そんなリョウに必要だったのは自分の力ではなく大人や仲間の力だった
そんな彼らの力を「借りる事が出来る力」を得る事がリョウがレツゴ無印で描かれた成長なのかなと
キャラの数だけ描くべき成長の方向性は違います
その違いを繊細に描き分ける事こそが、キッズアニメの真髄なのかなと思いました
CM