けものフレンズ2第5話にて、前作のけものフレンズの主人公「かばん」が登場しました!
主人公の変わった続編に前作主人公が出ると言うサプライズサービス!
にも関わらず、多くのけもフレファンは激怒!!
あれだけ「かばんちゃんを返せ!」と騒いでたくせに
いざ出たら出たで批判するとかどう言うことやねん!?!?
そこら辺の事情に詳しくなく、純粋にけもフレ2を楽しんでいるファンからすれば不条理に映るであろうけもフレ信者達の行動をここで解説したいと思います
・そもそもかばんちゃんって何者?
前述した通り、初代けもフレアニメの主人公で
元々はけものフレンズに最初からいたキャラと言うわけでなく
たつきさんが監督したアニメ版で初登場した、たつき監督の生み出したオリジナルキャラクターとなります
・なんで念願のかばんちゃん再登場を素直に喜ばないの?
それは、けものフレンズ2がたつき監督不在のまま製作されており
かばんちゃんもたつき監督の意向を無視して登場させられたもので
細部のキャラ造形がたつき版で描かれたかばんちゃんとは全くの別物だったからだと思われます
・でも監督が変わるなんてよくある話だし、続編で再登場したキャラの性格が変化する事もよくあるじゃん
確かにその通り
レツゴは無印からWGPになった時に監督が変わりましたし
ベイGレボはキャラ改悪させられた上で前作キャラが再登場しましたが
けもフレに匹敵するほどの知名度と人気を誇るこの二作でもそこまで批判は大きくありませんでした
しかし、けもフレの場合は監督が変わった経緯がちょっと特殊なんです
・けものフレンズ2の監督がたつきじゃない理由
元々、けものフレンズは続編を想定とした終わり方をしており
たつき監督も続編放映へ向けて鋭意製作
更にファンサービスも怠らずに精力的に活動していました
しかし、けものフレンズ第1期終了から数ヶ月後
突如たつき監督の降板がたつきさんのツイッターアカウントにて呟かれました
虫の息だったアプリ版からアニメで不死鳥のように息を吹き返し
順風満帆だったはずのけものフレンズプロジェクトに陰りが出てきた瞬間です
しかも、その降板の理由は未だに明かされておらず
全てが推測の域を出ていません
当然、ファン達の不信感は増すばかり
・たつき不在のまま始まったけもフレ2
こんな不義理な事をしておきながら、なおプロジェクトを進めようとしている時点でどうしようもない気がしますが
それでもまだ道はありました
「たつき版のけもフレはあくまでパラレルと言うことにして、全く別のけものフレンズを描く」
それこそ、主役フレンズはカラカルだけにしてサーバルをサブにするか
いっそサーバルの声優をアプリ版に戻すかくらい思い切った事をして心機一転するのが一番無難でしょう
しかし、いざ出てきたものは
中途半端にたつき版初出の要素を取り入れたものでした
誠意がないどころか、悪意を感じる人がいても無理もないです
・こんな信者に誰がした!?
でも、けもフレ信者もほかのアニメ信者と比べるとちょっと珍しいんですよね
アニメの信者は数多くいれど、「監督の信者」になるパターンってそんなに無いですよね
僕だってレツゴ見ながら「アミノを信じろ」「アミノを返せ!」なんて言った事ないですし
・たつきはけものフレンズの救世主
そもそもけものフレンズはアプリゲームが原作で
それも第1期アニメが始まる前にサービス終了が決定していたと言う「死にかけたコンテンツ」だったわけです
それがアニメによって奇跡の大復活を遂げた
逆に言えば「けものフレンズというコンテンツそのものに魅力があるのではなくたつき監督に魅力があったのでは?」と感じさせるには十分だったのです
・にしても公式が持ち上げすぎた
いくら功労者とは言え普通だったらここまで監督にばかりカリスマ性が集中する事もありません
アニメにおいて一番目立つのはキャラ作画と声優、次いでシナリオと音楽に注目度は分散されますから
しかしけものフレンズは、シナリオやモデリングまで全てたつき監督が行うと言うほぼワンマンで製作されており、普通のアニメと違って注目度は分散されにくかったのです
更に、たつき監督のカリスマ性が決定打となったのは第1期の11話終了後のツイッターでしょう
『たつきを信じろ』
11話の最後にかばんがサーバルを庇ってセルリアンに踏み潰されるというショッキングな展開に耐え、無事に最終回を迎えるためにファン達が掲げたスローガンです
一般人だけじゃなく公式側の人間までこのスローガンを掲げた事によって、たつき監督はただの監督ではなく主演女優を押しのけたスターとなってしまいました
この瞬間、けものフレンズはけものフレンズではなく「たつき神話」となってしまったのではないでしょうか
ファンの祀り上げに公式まで乗ってしまった事も大きな原因だと思われます
ここまでたつきのカリスマ性を煽っておいて
今更たつき抜きでプロジェクトを進めるというのは
人気主演女優を降板させて新人を起用するのと同じくらいの愚行でしょう
・これらの出来事から学べることは
まぁ、いきなりカリスマ性ある人材を理由も明かさずに切るなってのは大前提ではありますが、一旦そこは置いといて
コンテンツやプロジェクトを長く成功させたいなら
入れ替わりが激しい部署の人間を持ち上げすぎない事ですね
重要なのは中の人ではなくあくまでコンテンツ
大人の事情はどんなものにも付き物
いつ変わるか分からないものに縋りすぎると公式もファンも痛い目に合います
中の人はあくまで中の人
ネズミーランドで一番カリスマ性を持つべきなのは中にいる演者ではなくガワの着ぐるみなのと同じですね
解説なのに私見の押し売りがある。
ネズミが立派でも作ったウォルターが多彩だった様に作り手は切り離せないし、
例えば声優は中の人間で作品よりカリスマがある現実があるけど、それを否定してもエンタメは盛り上がらない。
1期の大人しいファンはノータッチで見ないようにしているのに2期の監督から傷をえぐりに来たわけ。
この記事は中立の様で2期にバイアスを掛けている。
中の人のカリスマ性が大事なこともありますが
一期は少々行きすぎてた
それが悪い事とは思わないけど、最後まで貫き通さないと危険ってだけです
別に特定の誰かに私見を押し付ける気は全くないですよ
この記事見て共感するもしないも自由ですから
ただ、見る側にバイアスがかかってると押し売りみたいに感じちゃうかもしれませんね
そこまではさすがに考慮するのは難しいです
経緯云々もあるけど、最も重要なのは
優しさも面白みもないこんなのけものフレンズに、最後の砦であるかばんちゃんだけは出て欲しくない、汚さないで欲しかったってことやぞ。
1話:主人公かばんちゃんじゃないのかよ・・・萎える。
2話:あっ・・・(察し)かばんちゃん出なくていいです。出さないで。
~
5話:しね
やぞ
せやな、まったくもってその通りや
この記事はけもフレ2からファンになった人へ、一期ファンとしての感情バイアスをなるべく抜きにして簡単に解説したものなんやで