【ホラー小説】赤い中古車

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昔、某所にアップしたものを再掲載



『赤い中古車』
 
 
 6月中旬、午後8時36分。
 土砂降りの雨の中、とある峠道を一台の赤いセダンが水しぶきを吹き上げながら、猛スピードで走っていた。
 峠特有のワインディングセクションを、車体を揺らしながら駆け抜けていく。時折、タイヤの強烈なスリップ音が鳴り響き、ドリフトに近いコーナーワークになる。
 どう見ても危なっかしい素人の走りなのだが、車のペースは落ちる事無く、更に加速していった。
 
「くそ……!」
 運転しているのは、30代半ばほどの男だった。
 ワイパーで拭っても拭っても水滴で曇っていくフロントガラスを睨みつけながら、ハンドルを握る手に力を入れている。
「速く……もっと速く走れよ……!」
 一人悪態をつく男の頬は、仄かに赤く染まっている。アルコールが入っているのだ。
 どんなに集中しても、時折フッと意識が飛びかけてしまう
「……なんで、こんな時に限って……!」
 男は、数時間前の自分の行動を悔いて……いや、むしろ恨んでいた。
 
 
 男の名前は、山本コウタ。自営業で電気工事士をしているナイスミドルだ。
 今日は、仕事がいつもより早く終ったので、従業員と一緒に居酒屋に飲みに行っていた。
 仕事終わりの安心感も手伝って酒を飲むペースは早く、1時間としないうちにすっかり出来上がってしまった。
 しかしそんな時、コウタのケータイが唐突に鳴り響いた。
「ちっ、いい気分だったのに……。はい、山本電気事業部ですが」
 宴を邪魔されてやや不機嫌そうに電話出るコウタだが、その着信主を確認してすぐに改まった。
「あ、山田様……!どうされましたか?」
 山田とは、山本電気事業部のお得意様だ。
 自営業でやや客足に困っている山本としては、なんとしてでも手放したくない大事な客だ。
 山本は、頭を振って酔いの気分を無理矢理振り払って、電話に集中した。
「あ、さようでございますか……はい、はい、分かりました。すぐに向かいます!」
 話の内容は、以前工事した山田家の電気配線が切れ掛かっており、その修理の依頼だった。
 仕事の時間外だし、断っても良かったのだが。山本は信頼を得るために、これを受けた。
 
 山田の家は、ここから街中を通って、およそ10kmほど場所にある。
 車を使えばすぐに辿り着ける距離だ。
 一人暮らしなので帰りが遅くなっても構わない山本は、酔いを醒ましてから帰るつもりだったので、車を持ってきていた。
 これは、都合がいい。
 
「ちょっと、出てくる」
 山本は、従業員達に事情を説明して立ち上がった。
「でも社長、結構飲んでるでしょ……」
「最近、検問とか多いし、まずいんじゃ……」
 反対する従業員達に山本は
「大丈夫だって。少し酔いを醒ましてから行くから。じゃ、金は置いとくから皆は楽しんでてくれ」
 そう言って、強引に店を出た。
 
 梅雨なので、外は雨が降っていた。土砂降りだ。
 飲酒の上に雨の中と言う悪条件の中走行しなければならないという事に頭が痛かったが、それでも山本の足は駐車場へと向かっていた。
 
 有料駐車場の中においてある愛車の赤セダンに乗り込み、山本は一息つく。
 すぐにでも出発したいのは山々なのだが、飲酒運転は怖い。
 30分くらいは休んだほうがいいかもしれない、とそう思った時、再びケータイが鳴った。
「もしもし……」
 山田から『いつ来られるか?』と言う催促の電話だった。
 小心者の山本にとって、それは引き金だった。
 意を決して、キーを差し込む。
 エンジンの音を聞くと、不思議と頭の中が透き通り、酔いもさめたような気になった。
「案外、いけるかもな」
 そうたかを括って、サイドブレーキを下ろした。
 
 町の中を、慎重に走る。ここで事故ったら洒落にならない。
 いつも以上に交通ルールをキッチリと守りながら、安全運転を心がけた。
 ひょっとしたら、多少飲酒した方が交通安全守られるんじゃないかとも思ったけど、なんかそれは本末転倒だ。
 途中、後ろからクラクションを鳴らされたりもしたが、気にしてる場合じゃない。むしろ、目覚ましに丁度良かった。
 しかし、しばらく走った所で、山本にとって最も遭遇したくないものを目撃してしまった。
「やべ……マジかよ……」
 検問だ。
 ケーサツが、一台一台車を止めて、飲酒チェックしちゃってる。
 このまままっすぐ進めば山田さんとこまですぐいけるのに……。
「仕方ない」
 バカ正直に飲酒チェックを受けるわけには行かなかった。
 少し遠回りになるが、道を外れて峠の方を回っていっても山田家に辿り着ける。
 しかも、あそこは人通りも車の通りも少ない。多少飛ばしても他人を巻き込む事故にはならないはずだ。
 そう考えて、山本の乗るセダンは、検問をしている場所のひとつ前の交差点を曲がった。
 
 ……。
 ………。
 
「ふぅ……」
 カーブを切り抜けるたびに、山本はため息をついていた。
 飲酒、雨、ワインディングの上に猛スピードのややドリフト走行と言うギリギリの走りをしているのだ。
 いくら第三者がいないからとはいえ、自分が事故ってしまう可能性は高い。
「しっかりしろ。もうすぐだ。もうすぐ山道も終わる。そうすれば……」
 そう、あともう少し。あと2,3回カーブを抜ければ、それで……!
 ずっと緊張の糸を張りっぱなしだったからか。少しだけ、気が緩んだ。
 そのときだった。
 視界に、人影が飛び込んできた。
 ライトが、女性のシルエットを形作る。
「あ……!」
 と、声を上げた瞬間にはもう遅かった。
 反射的に急ブレーキをかけたのが仇となり、車は耳障りな凄まじい音を立てながらスリップする。
 ライトに照らされた女性の顔が、迫ってくる。
 スローモーションのように、その顔が疑問から驚愕へと変化していく様子が見て取れた。
 ドンッ!
 と言う小さな衝撃とともに、その人影が大きく吹っ飛ぶ。
 
「……」
 やっちまった……。
 真っ白になりそうな頭を奮い立たせて、山本はゆっくりと車から降りた。
 そして、雨に濡れるのも構わず、はねてしまった女性の姿を探す。
「いない……?」
 しかし、女性の姿はどこにも見当たらなかった。
 消えた……?
 しかし、はねた女性のものであろう血痕が、路面やフロントバンパーにこびり付いていた。
 その血も、雨に流れて薄くなっているのだが……。
 だから、これは何かの見間違いなんじゃないかと言う気にもなってきた。
 周りに誰もいない。
 目撃者どころか、被害者すらも消えたのだ。
 血痕があるからなんだ。そんなものはすぐに雨で流れる。
 フロントバンパーは少し凹んでしまったが、このくらい誰も怪しまない。
 
 だから。
 だから。
 このまま、なかった事にしてもいいんじゃないだろうか?
 これは何かの間違いなのだから。
 
 でも、現実はそんなに甘くなかった。
 
「うぅ……」
 土砂降りの雨音の中、何故か、その声はハッキリと聞こえた。
「……」
 そう、暗くて気付かなかったのだ。
 女性がいた場所の、その延長線上。
 女性が、吹っ飛ばされたであろうその先。
 そこは……カーブになっていて、まっすぐ突っ込めば、下の道へと落ちてしまうのだ。
 
 山本は恐る恐る、その崖を覗き込んだ。
 いた!!
 崖は、思っていたより低く、3mほど下に別の道が見えた。
 そして、そこに頭から血を流した女性が、苦しそうに呻いていた。
 体を九の字に曲げて倒れ、ゆっくりと首を回してこちらを見上げてきた……。
「ぁ……」
 言葉が出なかった。
 その、女性の目は、事故を起こした自分に対する怒りや憎しみは一切無く、純粋に助けを求めるものだったから。
 でも、助けられない。
 ここで助けたら、もう後戻りは出来なくなる。
 
 だけど……!
 
 自分のせいでこんな事になったのに。
 そんな自分に対して恨みもせず、ただ純粋に助けを求めているのに……。
 そんな彼女を見捨てると言うのだ。
 
 罪悪感に押し潰されそうになる。
 
 でも、でも……!
 目撃者はいない。彼女はもう虫の息だ。ほっとけばすぐに死ぬ。
 自分にお咎めは無い!
 なかった事に出来る!
 罪も無くなる!
 なかった事に出来る!
 仮に生きていたとして、この土砂降りの中顔がハッキリ見えているはずが無い。バレるわけがない!
 なかった事に出来る!
 
「っ!!」
 山本は、踵を返した。
 そして、セダンに乗り込んでそのまま走り去った。
 女性の目は、ずっと走り去る車を追っていた……。
 
 
 ……。
 ………。
 
 8月上旬。日曜の昼下がり。
 極村原河家の長男、極村原河翔太は居間のソファに寝そべり、テレビを眺めていた。
 テレビからは、ニュースキャスターの淡々とした朗読が流れている。
 
『6月15日に三芳峠山中にて起こったひき逃げ事件の被害者の身元が判明しました。
被害者は、吉本加奈子さん(18)。当日、買い物帰りに峠の道を歩いていたところ、カーブ付近にて乗用車にはねられた模様です。
目撃者はおらず、加害者の身元は未だに不明です』
 
「酷いことするもんだよなぁ……」
 翔太は、煎餅を齧りながらぼやく。
 地元の大学に受かり、免許も取り、ようやく車を買ってもらう事になった翔太としては、とても他人事とは思えないニュースだった。
 事故を起こす事自体良くないが、そのあと逃げるのはモット良くない。
 せめて自首するべきだ。
「あんたも加害者になるかもしれない立場になるんだから、ちゃんと気をつけなさいよ」
 キッチンの方から、母親が話しかけてきた。
「嫌だからね。事故で死んだり、殺したりするのは」
「分かってるよ。気をつける」
 母親のお小言ほどウザイものは無い。
 翔太は適当に流した。
「それはそうと、今日は前予約してた中古車が来る日じゃなかったっけ?お店にいかなくていいの?」
「あ、そうだった!」
 そうそう、今日は車もらえる日だったのだ。
 
 免許を取った翌日、早速近くの中古車ショップに足を運んだのだが、すぐに良い車が見つかった。
 それは、真っ赤なセダンだった。値段もそこそこ安かった。
 少しフロントバンパーが凹んでて、黒い染みみたいなのがついているのだが、気にするほどじゃない。
 翔太は即座に予約を入れ、それがついに今日手に入るのだ。
 
「じゃ、行って来ます!ちょっと、ドライブしてこようと思うから帰りは遅くなる」
「気をつけるんよ」
「分かってる!」
 そう言って、意気揚々と出かけた。
 
 中古車ショップにて、担当の人に長々と保険とかその他諸々の説明を受けたり、契約書を交わしたりして、ようやく愛車に乗ることができた。
「よし、行くぞ……!」
 早速キーを差し込んで、捻った。
 ブロロロロ!!
 と、エンジンが回る音が鳴る。
 キャー……。
「ん?」
 その、エンジン音の中に、少し高い女性の声のようなものが混じった気がした。
「……」
 耳を澄ます。
 聞こえるのはエンジン音だけだ。
「気のせいか」
 そう思い直して、サイドブレーキを解除する。
 ギアをドライブにして、ゆっくりとブレーキを離した。
「おぉ……!」
 初めて愛車を動かした事に軽く感動する。
 そのまま、公道に出た。
 少し不安もあったのだが、意外とすんなり乗りこなせそうだ。
 翔太はそのまましばらく町の中を走行する事にした。
 
「結構慣れてきたなー」
 夢中になって運転していると、いつの間にか日は傾き、夕暮れ時になっていた。
 町の中での走行は、もうやりつくした感がある。
 だけど、まだなんか物足りない。
 家に帰る前にもうちょっと、何かしたいと言う気分になった。それはきっと、夕日がそうさせているのだと思う。
「よし」
 翔太は、町を外れ、あの峠道へと車を走らせた。
 あそこは、それなりにスリルもあるし、対向車が少ないから、普通に走行する分には町の中を走るよりも安全だ。
 昼間見たニュースが少し気になったが、それでも今の自分にはあの場所が一番適しているように思えた。
 
 峠道のワインディングを気持ちよく走らせる。
「~♪」
 自然と鼻歌が漏れた。
 峠は一本道な上、適度にカーブがあり、自分の好きなスピードで走れるのでただ走るだけなら町の中を走るよりもずっと楽しい気分になるのだ。
 そのときだった。
 
 ――……けて
 
 ふいに、高い女性の声が聞こえたような気がした。
「え?」
 反射的に振り返ってみるが、車には自分しか乗っていない。
 小石か何かを跳ねて、それが女性の声に聞こえただけかもしれない。
 そう思って前を向くと……
 
 ――ど…して……げるの……
 
「は?」
 
 さっきよりも、より強い声で聞こえた。
 
 ――ねぇ、助けてよ……あなたのせいなのに、どうして逃げるの?
 
 ハッキリと、聞こえた!
「な、なんだ?!」
 慌ててあたりを見回すのだが、何も誰もいない。
 だけど、だけど声が……!
 
 ガッ!!
 突如、左肩を何者かが物凄い力で掴んできた。
「っ!」
 恐る恐る、左へと首を回してみると……。
 そこには、青白い顔をした女が……後部座席から翔太の肩を掴んでいた。
 目が合う。
 悲しげで、だけどどこか何かを楽しんでいるような、そんな瞳だった。
 長い髪はびっしょりと濡れていて、それが首筋に絡み付いてきて、こそばゆかった。
「ひ……ひゃああああああ!!!」
 翔太はパニックになって、ハンドルを持つ手をメチャクチャに動かし、その女を振り払おうとした。
 だけど、その力は強く、なかなか振り払えない!
 
「く、っそぉぉ!!!」
 渾身の力を振り絞って、なんとか、女の手を振りほどく。
 その時、女はニタリと口元を歪ませて、消えた……。
「……?」
 安堵と疑問が同時に頭に浮かんだ。
 その直後だった。
 バンッ!!
 軽い衝撃が、車体を襲った。
 エアバックが発動するほどではなかったが、翔太は反射的にブレーキを踏んだ。
 けたたましい音を立てて、車が止まる。
 
「あ……!」
 何事かと前方を見たとき、翔太は目を疑った。
「う……そ……!」
 女子高生が……車の前で、血を流して倒れているのだ。
 翔太は慌てて車から降りて、女子高生の傍に駆け寄る。
「す、すみません!!大丈夫ですか!?」
 大丈夫なわけが無いが、そんな事冷静に考えている余裕は無かった。
 女子高生の首を抱えて、その姿を見る。
「……」
 思わず、吐き気を催して口元を押さえた。
 
 この女子高生は、もう人間じゃない。
 四肢があらぬ方向に曲がり、首も折れている。
 出血も酷く、息もしていない……。
 
「……」
 翔太は、女子高生から離れ、周りを見渡した。
 
 ……誰も、いない。
 
 誰も見てない。
 この子は助からない。
 そうだ。大丈夫だよ。大丈夫。
 黙ってれば、誰も気付かない。
 だから……だから……。
 
 翔太は、車に戻ろうと後ずさった。
 そのときだった。
 人としての形を失った女子高生の目が、カッと見開き、その口がゆっくりと動いた。
 
『今度は、ちゃんと自首してね……』
 
 
 
     完
 

 
 
 

 

 




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