【ホラー小説】水滴

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『水滴』
 
 
 
「お客さ~ん、冷蔵庫はこっちでいいですか~ぃ?」
 若い引越し屋さんの威勢の良い声が、聞こえてきた。
「あ~、はい!そこでお願いします!」
 俺は、小物類の入ったダンボールを抱えながら返事した。
「ふぃ~……」
 ダンボールを部屋の隅において、俺は一息ついた。
 部屋を見回す。最初に見たときは殺風景だったものが、今はダンボールの山に埋もれている。
 元々一人暮らしで荷物は少ない方なのだが、六畳一間を埋めるには十分な量があった。
 
 引越し作業はものの一時間程度で終わった。
 全ての荷物を運び終えた引越し屋さんは、俺からサインを受け取ると早々に帰っていった。
 さっきまで慌しかった部屋が途端に寂しくなる。
 
「ふぅ」
 俺は、備え付けたばかりのベッドの上に横たわり、天井を眺めた。
 まだ片付けていないダンボールは多々あるが、まぁとりあえず生活する分には困らない。
 続きはまた今度と言うことで、今日はのんびり過ごそう。
「それにしても、今更ながら良い部屋を見つけたよなぁ」
 俺の名前は極村原河ヨウタ。よく、珍しい苗字だと言われるが、地元では結構一般だったりする。
 年齢は18歳。来月の四月に東京の大学に入学する好青年だ。
 実家は沖縄なのだが、東京にあこがれた俺は、高校卒業と同時に実家を出て、東京の大学に入ると決めていた。
 貯金も無いし家も裕福でない俺にとっての一番の難関は住居を探すことだった。
 のだが、意外とあっさり良い部屋が見つかった。
 大学から歩いて二十分の距離に位置し、敷金礼金なしで家賃は月々二万円。しかも六畳一間でユニットバス付きと言う、常識では考えられないものだった。
 そこまで条件が良いと、いわく付きの物件だと疑ってしまいそうだが、大家さん曰く。
 
 『大学が近くにあるので、その学生をターゲットにして安くしている』
 との事だったので納得できた。
 まぁ、本物のいわく付き物件だったらもっと安いはずだしな。
 
「ん?」
 ちょっくら昼寝しようと大きく伸びをしたところで、何か物音が聞こえた。
 ゴトンッと、何か上のほうから、そこそこの重量物がソッと置かれたみたいな鈍い音が。
「なんだ?」
 なんとなく気になったので、自分の聴覚を頼りに音がした場所へと足を運んだ。
 その場所は……。
「風呂場……」
 音がした場所は、ごく普通のユニットバスだった。
 しかし、音がした形跡がなかった。水漏れもないし、特に物を置いてるわけでもないし。
 誰かがいたという痕跡もない。いや、そんな痕跡あったら逆に怖いが。
「う……」
 何か、臭う。
 さっきまでは特に何も感じなかったんだが……なんか、臭いぞ。
 まぁ、トイレが臭いのは当たり前の事だが……なんとなくそれとは違うような気もするし。
 とりあえず、予め買っておいた消臭剤をセットしよう。
「うおっ」
 何か踏んだ。
 見ると、ボディソープの容器が落ちていた。
 流しの上と言う不安定な場所に置いていたから、何の拍子で落ちたのだろう。さっきの音も、これが原因か。
「でも」
 冷静に考えてみると、何かおかしい。
 たかだかこんな容器が落ちたくらいであんな鈍い音がするだろうか?
 それに、何かの拍子って何だ?
「……」
 俺は容器を拾い、しばらくの間眺めていたが、すぐに元の場所に戻した。
「ま、いっか」
 そして、浴場を出てベッドにダイブ・インした。
 こういうのは深追いした所で何も得はないからな。
 
 特にする事もなく時間はなんなく過ぎていった。
 大学が始まるのはまだ先だし。バイトは大学が始まってから決めようと思っている。
 だから今は、残されたお小遣いでなるべく節約しながら生きる事だけを考えていればいいのだ。
 
 夕飯のため炊飯器をセットし、炊けるまで風呂に入ることにした。
 俺は熱い風呂が好きだ。
 濛々と白い湯気を上げる湯船の中に、俺は豪快にイントゥーザダイブした。
「はぁ~~~~!」
 親父臭いとか言わないで欲しい。
 沖縄人としては風呂だけが唯一の楽しみなのだ。
「ん~~~~」
 お世辞にも広い風呂とは言えないが、それでも伸ばせるだけ四肢を伸ばす。
「えぇ湯じゃのぉ」
 これで、ギャルが三人くらい入ってくれば言う事ないんだが……。
「ギャルが三人……」
 いや、ちょっと待て!
 冷静になってよく考えてみろよ。
 この狭い風呂の中にプチプチギャルが三人も入ったとする。
 そんな事したら、せっかく溜めたお湯がザバァって、ザバァって、溢れちゃうじゃないか!
 そしたら、唯一の楽しみである熱い風呂を楽しめなくなるぞ!そんなの、絶対嫌だ!!
 
 神様お願いします!どうか、ギャルが三人入ってきませんように!!
  
「ん?」
 そのときだった。
 頭の上に、ひんやりとした感触が走った。
「水滴でも落ちたか」
 不意打ちで驚いたが、風呂場で水滴が落ちるなんて当たり前の事だ。
 雨と同じ原理だ。濛々と上がった湯気が天井にたまり、それが冷えて雫となって落ちると言う事なのだ。
 何もおかしなことはない。
 
 ピチョンッ。
 
 おっ、また落ちてきた。
 今度は鼻先に……ん?
 
「黒い……」
 水滴は、黒く濁っていた。これは……?
 俺は、天井を見上げてみた。
 そこには、少し黄ばんだ白い天井の一部に、黒ずんだ染みがあった。カビだろうか?
「……ムーディかな?」
 黒かびといったらムーディだな。左に受け流すとしよう。
 と、そんな事を考えているうちに、炊飯器の電子音が聞こえた。
「そろそろ上がるか」
 俺は風呂を上がり、いそいそと夕飯の支度をする事にした。
 
 
 そして、次の日。
 俺は、特にすることがなかったので朝起きて、すぐさま朝風呂に入る事にした。
「はぁ~、気持ちいいぜ」
 お前はしずかちゃんか!
 とか言う突っ込みは無しでお願い。沖縄人なんだからしょうがないでしょ。
「ふぅ……」
 あ~、なんか目の前がぼやけて来た……。
 二度寝フラグかな?
 って、いかんいかん!
 いくら熱い風呂と言っても、このまま寝たら風邪引くぞ。
「ふぁ~あ」
 ……とはいえ、もう意識が朦朧としてきた。
 朝から風呂なんて入るもんじゃないね。絶妙に気持ちいいからもう、だめだわ……。
 
 俺は、意識を閉ざした。
 
 ……。
 ………。
 
 しばらくして、鼻先に落ちる冷たい感触に脳が覚醒した。
 あぁ、またあの水滴か。
 うぅ、でもまだ目は開けられない。脳は覚醒したが、体はまだダルイ。
 もう少し、もう少しだけこのまま……。
 
 ミシ……。
 何か、上のほうで軋んだ音が聞こえた。
 と、思った刹那!
 
 バシャーンッ!!
 天井が抜け、何かが振ってきた。
 それは、ちょうど俺に覆いかぶさるような形で、一緒に湯船に浸かっている。
「な、んだ?!」
 さすがに驚いて目を開ける。
「っ」
 息を呑んだ。
 俺の目の前には、腐乱した女の顔が、鼻先がつきそうなほどの近さにあったから。
 女の、焦点の定まらない。それでいて、どす黒い憎悪と殺意の篭った瞳が目に付く。
 長い髪が、頬に絡みつく。
 そして、吐き気を催す異臭が、俺の鼻を刺激した瞬間、俺は声を上げた。
 
「あ……うわあああああああああああああああ!!」
 
 
 その瞬間、光景が変わった。
 目の前には、濛々と上がる湯気しか見えない。
 あの、腐乱した女の顔は……跡形もなく消えていた。
「はぁ……はぁ……」
 息を整える。
 なんだったんだ、あれは……?
「夢……?」
 おそらくはそうなのだろうが、それにしては嫌に生々しい感触だった。
 俺は、目を覚まそうと顔を洗うために、両手で湯をすくった。
「うっ……!」
 その両手には、黒々とした髪の毛がいくつもこびりついていた。
 俺のじゃない。俺は、そんなに抜け毛体質じゃない……!
「うわああ!!」
 俺は両手についた髪の毛を振り払った。
 そして、その勢いのまま、見上げてしまった。
 
 天井を。
 
 今度は、声も出なかった。
 
「あ……あ……!」
 
 天井には、染みがあった。
 昨日見つけたのと同じ場所に。
 だけど、その形は……
 
 夢の中に出てきた腐乱した女の顔のように変化していた。
 
 ピチョン……!
 その染みから、一滴の雫が滴り落ち、開いたままの俺の口の中に入った。
 
 苦かった。
 
 
 
 俺は大学入学を取りやめ、アパートを出た。
 そして、地元の工場に就職する事にした。
 親には迷惑をかけたが、それでも、あそこにいるよりはずっとマシだ。
 
 
 
      完
 
  

 

 




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