WGP第49話「勝者の条件」にて、ミハエルの豹変について語る

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爆走兄弟レッツ&ゴー‼︎の神回として挙げられがちな『勝者の条件』

無敗の天才ミハエルと烈の一騎打ち
そんなミハエルから発せられる驚愕の一面に怒りを露わにしてミハエルを抜き去る烈

ミハエルに勝ったと思ったら突如現れてトップを掻っ攫うカルロ

と、見どころ満載なクライマックスがすばらしい話なのですが

冷静になって考えるとツッコミどころも満載です

その中の一つ
『ミハエルの豹変』について語ります

まず、ミハエルのこれまで描かれたキャラクター像について
常に笑顔で余裕があり、他レーサー達に対して友好的すぎる事から
豪からは『調子狂う』
藤吉からは『逆に闘志が掻き立てられる』
と評されていました

しかし、レーサーを見る目は確かで
豪の実力やカルロの正統派レーサーとしてのポテンシャルの高さをいち早く見抜き
そんな強豪レーサーとのレースを楽しんでいる節もありました

が、WGP第49話でミハエルの口から語られたのは

「僕が相手にしているのは他のレーサーじゃない」
「僕はずっとベルクカイザーと戦ってきた」
「マシン勝って支配し、思い通りに走らせればレースに勝てる」

んんんん????
確かに、『マシンを支配する』と言う点はそう言う節は以前からありました
ミハエルはベルクカイザーに対しては「頑張れ!」などの応援や労いはせず
ただ無機質に命令しかしていません

しかし、レーサーに対しては思いっきり意識してるんですよね……

そして更に次の話で豪と競り合っただけですっきりあっさりと改心してしまうのも謎です
ミハエル、お前のポリシーって浅すぎない???

そう、実際のところミハエルのこの宗旨に対する拘りって
実はめっちゃくちゃ弱かったんじゃないかなと

宗旨やポリシーと言うものは
成功や挫折など、様々な経験を経て形成されていくものです
しかし、ミハエルは負けや挫折といった経験がなく
成功のための努力もしていない
そして周りの環境もそんなミハエルを咎める者がいない
それでもずっと成功し続けていたわけです

つまり、ミハエルが第49話で語った宗旨と言うのは
宗旨ではなく『自分に対するただの感想』レベルの思いだったのではないかなと

「こういうポリシーだから自分は勝ってきたんだ!」
ではなく
「自分が勝ってきたのは、きっとこう言うポリシーでやってたからなんだろうなぁ」
って言う、自分を振り返って後付けされた仮定のポリシー

だからこそ、わざわざそれを表に出す必要はなかった
他のレーサーへ友好的なのも特に深い意味はなくて
本気で友好的なわけではない

ポリシーに従って行動してるのではなく
無自覚の行動によってポリシーをこじつけてるだけだから

しかし、それが少し崩れそうになった瞬間があります
それは、第二ステージの下りワインディングセクションにて
路肩に浮いた砂利をベルクカイザーが跳ねてそれが頬に当たった瞬間

その時初めてミハエルは『マシンが自分の支配から離れた』経験をしてしまいイラつきます

それは、従順だった子供に初めて反抗された親みたいな心境なのでしょう

それからミハエルの中で、せっかく形成していた宗旨に揺らぎが生じます
宗旨が揺るぐと人はとても不安になるので、精神安定の拠り所を探します

そしてその最も愚直な方法が
『他者の考えよりも自分の考えの方が優れている』
と主張する事です

そのためには自分に対して従順なチームメンバーでは出来ず
まともに会話する気のなさそうカルロ(しかもタイヤバーストしたし)や、明らかに格下のハマーやミラーでは不足

そう、同格であり違う考えを待っているであろう烈の存在が適切だった

しかし、レツゴ作中でも最もマシンを愛しているであろう烈に対してそんな事をしては
返り討ちに合うのは当然
しかも環境的に不利なコンディションなのも相まってボッコボコにされるのでした……

第50話で豪と競り合うだけであっさり改心したのは
メタ的に言えば尺が足りないってのが理由でしょうが
元々ミハエルの宗旨自体が『経験が足りない状態で後付けされた未完成なもの』だったので
経験さえしてしまえば、宗旨替えは容易なのでしょう
天才だから理解力も早いはず

 

 

個人の感想です、あしからず

 

 

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