競技玩具アニメから学ぶ人生観「好きなものの中に嫌なものがあるのは当たり前」 爆球連発‼︎スーパービーダマン第7話より


競技玩具アニメは、非現実で爽快なバトルを繰り広げる少年達の活躍が楽しいだけでなく
現実にも存在する玩具と競技をモチーフとしている故に
それらで頂点を目指す彼らのドラマは現実世界にも通ずるものがあります

そんな彼らの行動や言動を読み解く事で人生においてプラスになるものがあるかもしれません

アニメ爆球連発!!スーパービーダマン第7話「爆スタート!全日本ビーダー選手権」にて

予選大会の途中、サラーは思わぬ再会を果たした伊集院の姿や彼の言葉に昔のトラウマを思い出し
身動きが取れなくなってしまいました

そんな彼を励ますチームメイトのタマゴやガンマのために
迷惑をかけるわけにはいかないと奮起しようとするサラーですが、ガンマは冷たく

「ワイらのために嫌々やるくらいやったら迷惑や!やめてまえ!!」

と冷たく言い放ちます
さすがに言い過ぎだと感じたタマゴがガンマを諌めようとするも
ガンマは即座にこう続けました

「好きなものの中に嫌なものが入っとるなんて当たり前のことやないか!
お前は嫌なもんのために好きな事を我慢するんか?
好きなもんのために嫌な事を我慢するんか?
どっちや!!!」

はい、これはアニメ版スパビの中でも
いや、あらゆるホビーアニメの中でも屈指の名言です

ガンマの言う通り
ビーダマンに限らず、ありとあらゆる事柄の中に自分が好きな要素、苦手な要素が混ざっています
好きなものだけを寄せ集める事など不可能ですし不健全です

本当に好きであるなら、多少の嫌なことは跳ね除けられる

至極当たり前の事のように感じますが
これが出来ない場合も多々あるでしょう

しかし、やるもやめるも自己責任

少なくとも
好きな事をやる理由を誰かのためと言って責任を押し付けることも
好きな事をやめる理由を嫌なことのせいにしてしまうのも

それは本当に好きだったと言えないのではないでしょうか?

我慢するなり折り合いをつけるなり、解決するなり
好きなものの中にある嫌なものへの対応の仕方はいくらでもあるはずです

どうしても嫌なものを理由に好きなものをやめる道を選んでしまった場合
憎むべきは嫌なものではなく自分自身ではないでしょうか?(不可抗力の場合は除く)

好きなもの、好きだったもの
それが好きだった過去の自分を穢すような行為は何があってもやりたくないですね

 

CM

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