【小説】パティシエと呪いのビデオ

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     「パティシエと呪いのビデオ」
 
 
 夕刊を取り込むために、妻夫木洋司はジャージ姿のままサンダルをつっかけ、ボサボサの髪をかきながら玄関を出た。
 赤く、西に沈んでいく夕日の眩しさに鬱蒼としながらも、門の左側に位置する少し錆びた銀色のポストへと歩む。
 手を突っ込むと、新聞の他に一枚のハガキ、そして長方形の固形物の感触があった。
 左手に新聞と固形物を抱え、ハガキを右手に持ち直し、なんともなしにその内容を眺めた。
 
 なんて事は無い。ちょっと前まで働いていた洋菓子工場からの解雇通知だった。
 予想していた事だったからか、不思議とショックはなかった。
 いや、むしろ予定調和と言ってもいい。
 一週間も無断欠勤したのだ、クビになっても文句は言えない。
 
 まぁ、クビにならなくても、もう職場に戻る気などなかったのだが……。
 
 かつては、世界一のパティシエを目指して、仕事に情熱を燃やしていた。
 いや、かつて、なんて昔の話じゃない。
 ほんの一週間前までは、だ。
 最愛の妻、愛理を失うまでは……。
 
「愛理ぃ……!」
 知らず、涙が零れていた。
 ハガキを持つ手が震え、その上に雫が落ちる。
 全ての感情を失っていたはずなのに、ふとしたキッカケで悲しみの感情は蘇り、蘇った悲しみはとめどなくあふれ出る。
 洋司は、喉を絞めて嗚咽を漏らさないように涙を搾り出して、発作がおさまるのを待った。
 
 愛理は、仕事の上でも人生の上でも最高のパートナーだった。
 いつも笑顔に溢れ、家庭的で、愛理がいるだけで家の中が当社比20%ほど明るかった。
 その明るさは、夜でも照明器具を必要としないほどにテカッていた。そう、彼女がいるだけで電気代が大幅に節約できたのだ。
 
 愛理は、洋司の『世界一のパティシエになる』と言う夢に肯定的で協力を惜しまなかった。
 家事の事はもちろん、洋司が作るオリジナル洋菓子の味見もよく買って出ていた。
 愛理の舌は確かなセンスを持っていた。
 彼女のアドバイスは的確で、それを元に作ったオリジナル洋菓子はことごとく成功していった。
 
 だから、洋司はいくつも洋菓子を作っては、愛理に食べさせていた
 その結果が……
 
 “重度の、糖尿病ですね。血液が完全にイチゴ味になっています。もってあと数日かと……”
 
 医者に言われた言葉が蘇る。
 散々洋司の洋菓子を食べてきた愛理は、糖尿病に冒されてしまったのだ。
 
 洋司は、後悔した。今まで愛理の体調に気付かず、洋菓子を食べさせ続けたことを。
 もっと早く気付いていれば、こんな事にはならなかったのに。
 自分の夢が、洋菓子が、愛理の体を蝕んだ。
 そう、愛理は、自分が殺したも同然なのだ。
 愛理が亡くなってから一週間。洋司は自分を責め続けた。
 家に塞ぎこみ、何をするでもなく、ただボーっと過ごす日々が続いた。
 世界一のパティシエになると言う夢は、あっけなく消え去ってしまった。
 
 
 居間に戻り、ソファに腰を下ろし、郵便物をテーブルの上に無造作に置く。
 もし、愛理がいたなら、大雑把な洋司の行動を嗜めもしただろうが、今はそれもない。
 ちょっとしたことですぐに愛理を思い出してしまう。
 洋司は、テーブルの中央に置かれた箱に視線を送った。
 箱を開けるとそこには、白いクリームと赤いイチゴが乗ったケーキがあった。
 それは、洋司が最後に作り上げたケーキだった。
 愛理のアドバイスを元に作った、最高傑作になる予定だったのだ。
 
 しかし、結局、それは誰の口にも入ることは無かった。
 愛理の味見を受けて、それは初めて完成するはずだった。
 だが、医者の通達を受けた後に作り上げたそれを、洋司は味見させるわけにはいかなかった。
 愛理は、どうせ死ぬ運命だからと味見したがっていたが、結局、手をつけさせる事なく、愛理は逝ってしまった。
 
 もし、愛理の望みを聞いていたら、運命は変わったのだろうか?
 時々、そんな風に考える。
 いや、そんな事は無い。すぐに洋司は思い直す。
 そんな事をしても、愛理の寿命を縮めるだけだ。
 手遅れだったとは言え、少しでも愛理を長く生かす方が大事だった。
 だから……だから……。
 
 だから、何だと言うのだ?
 今更自己弁護するのはよせよ。
 
 洋司はかぶりを振った。ちょっとしたことですぐ愛理の事を思い出してしまう自分が厭になる。
 気持ちを切り替え、再度郵便物を確認した。
 夕刊とハガキのほかにもう一つ、予想しなかったものがあったからだ。
「これは……」
 洋司は、長方形の固形物を手に取る。
「ビデオテープ?」
 プラスチックケースに入ったVHSのビデオテープだった。
 包装もされず、何も貼り付けられてない事から、郵便ではなく、直接手でポストに入れられたものらしい。
「誰かのイタズラか?」
 普通なら番組名を入れるであろうラベルにも何も書かれていなかった。
 何かの間違いと言うわけでもないだろう。
 悪意の有る無しに関わらず、意図的な行為と見て間違いない。
 そして、自分にとって利益のある行為とも思えなかった。
 こんなもの、早く捨てるべきだ。
 
 普段の洋司ならばそう考えたであろう。
 しかし、精神が不安定になった洋司には、どうしても内容が気になった。
 愛を失い、夢を失った洋司は、心の中に空いた穴を埋めたいと言う強い欲求が働いていたのだ。
 そして、その欲求は『好奇心』と言う形に変貌していた。
 
 洋司は、ビデオテープを手に取ったまま立ち上がり、デッキまで歩いた。
 その時、テーブルの柱に足をぶつけ、持っていたテープを、ケーキの上に落としてしまった。
 ぐしゃりと、クリームとスポンジが歪に歪む。
 プラスチックケースがクリームまみれになったが、幸い中身は無事だ。
 洋司はクリームまみれになったケースからテープを取り出し、ケースはそのままケーキの隣に置いた。
 
 埃の被ったのデッキにビデオを入れ、再生する。
 ブラウン管に、ザーッと砂嵐が流れたかと思うと、画面が急に黒く染まった。
 
 真っ暗、と言うわけではない、所々に、赤みがかった染みが点々とあった。
 ふと、画面に光が溢れた。
 かと思うと、そこから白い物体が画面中に広がる。その白い物体には、銀色の光が突き刺さっていた。
 その白い物体は、画面の中でグチャグチャにされていく。
 画面の下方には、赤黒い物体がウネウネと蛇のようにうねっていた。
 
「なんだ、これは……」
 洋司は、嫌悪感露にし、顔を顰めた。
 まるでわけが分からない。
 
 画面が黒く染まり、いきなり光が広がり、そこから鮮やかな色の物体が挿入され、グチャグチャにされていく。
 そして、また黒く染まり……その繰り返しだった。
 
 何かの番組というわけでもなければ、自主制作映像とも思えない。
 面白くも無ければ悲しくも無い。怖くも無ければ美しくも無い。
 意味不明な映像の連続。
 洋司は、気持ち悪くなり、早くビデオを取り出そうと思った。
 しかし、意志に反して洋司の体は動かず、視線は画面に釘付けになっていた。
 
 やがて、もう何度目かの黒に染まった画面になった所で、しばらく映像が停止したように動かなくなった。
 もう終わりなのか?と思っていると、そこから白い線が染みのように湧き出てきた。
 白い線は、複雑に絡み合い、やがて、それは文字になり、その文字は羅列として並び、一つの文章になった。
 
『これを見たものは、ダビングして他人に見せよ。さもなくば、3日後にお前の命をいただく』
 
 その文章の意味を理解したと同時に、画面が砂嵐に変わった。
 どうやら、ここでテープは終わりのようだ。
 
 テープを取り出し、洋司は呆然とその文章を頭の中で繰り返していた。
「命を……」
 なんともチープな脅迫めいた文章だった。
 少し前に流行った、不幸の手紙とかの類だろう。
 
 恐らく、これを見た奴は本気で呪いを信じ、それを回避するために言われたとおりにダビングした。
 しかし、自分の知り合いを巻き込むのは良心が許さなかったのだろう。
 そこで、自分とは見ず知らずの人間の家に放り込んだ、と言うわけだ。
 
「バカバカしい」
 洋司は、自分に呪いをかけようとした見知らぬ誰かに対して、特に何の感情も抱かなかった。
 呪いを信じなかったのだ。信じるほうがどうかしているだろう。
「……」
 それに、もし仮に、本当だったとしても。
 それは、洋司にとって、都合が良い事のように思えた。
 
 呪いと言うわけの分からない力で、楽に愛理の所に行けるのなら、それはそれで悪くない……。
 
 だから洋司は、この三日間、焦る事も嘆く事も足掻く事もせず、いつものように無機質な時間を過ごした。
 
 そして、三日後。
 
 大して面白くも無いお天気お姉さんの番組をボーっと眺めていると、突如画面が切り替わった。
「?」
 さすがにビックリしたが、すぐに平静を取り戻し、切り替わった画面に集中する。
 
 画面はやけに灰色がかっていて、まるで昔の白黒テレビの映像のようだった。
 映像はシンプルで、中央に古井戸がポツンと存在しているだけで、他には何も無い。
 しばらく変化がなく、静止画か何かかと思っていたら、その井戸のフチに白い手がかけられた。
 そこから、ゆっくりと黒い髪の毛のようなものが上がってくる。
 
「……」
 目が、離せなかった。
 
 井戸から這い上がったのは、髪の長い、白い服を着た幼女だった。
 幼女は長い前髪を頭に垂らしたまま、揺ら揺らと画面に近づいてくる。
 揺ら揺らと、ゆっくりと、確実に……。
 
 そして、画面全体が幼女の長い前髪で覆われた時、ニュッとその頭が立体化した。
 
「っ!!」
 息を呑んだ。
 テレビ画面から、したたかに濡れた幼女の頭が、手が、ゆっくりと出てきたのだ。
 
(これは、まさか、あの呪いの……!)
 
 洋司は、三日前に見た呪いのビデオの内容を思い出していた。
 あの呪いは本物だったのだ。
 洋司は目を瞑った。恐怖は無い。ただ、あるがままを受け入れよう。ある意味では、これは本望だ。
 
 しかし、いつまで経っても死の感覚は訪れなかった。
 もしや、何も感じないままに自分はもう死んでしまったのではないか。
 そう思って目を開けた。
「……」
 目の前に手をかざす。生きている時と、別段何も変化は無い。
 頬に触れてみる。暖かい。心臓も動いている。
「まだ、生きてるのか……」
 なんとじれったい。殺すのなら殺せば良いのに。と、洋司は再びテレビに視線を移した。
 
 画面では、幼女の頭と手が、さっきと同じように外に出ていた。
 それから、まったく動こうとしない。
 
「??」
 首をかしげていると、テレビの方から、くぐもった幼女の声が聞こえる。
「ちょっとぉ~、手ぇ貸してよ~!!」
「は……?」
 呪いの主にしてはあまりにも気の抜けたセリフに、面食らった。
「つっかえて出れないの~!!早く、引っ張って~!!」
「……」
 仕方ないなと洋司は、けだるい体を動かし、幼女の手を掴んだ。
 その手は、氷のように冷たく、湿っていた。
 
「いくぞ、せーのっ!」
 想いっきり引っ張ってやると、にゅるっとした妙な感触とともに、幼女の体がようやくテレビの外に出た。
 が、そのまま勢い余って洋司の上に覆いかぶさる形で倒れてしまった。
 
「い、ててて……」
「うぅ~、もっと優しく引っ張り出しなさいよね……って!」
 幼女は、前髪を掻き揚げて今の状況を把握すると、顔を真っ赤にして飛び起きた。
「きゃぁ!なにすんのよ!!このロリ!変態!!」
 両手で胸を押さえ、洋司から後ずさる。
「いや、覆い被さったのてめぇだろ!!」
 洋司の的確なツッコミを受け、幼女は我に返った。
「あぁ、そうだっけ?まぁいいや。じゃ、気を取り直して」
 そして、右手と左足を上げ、まるで少女マンガの主人公がするようなポーズで、こう叫んだ。
 
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!呪いの怨霊、ギョボ子ちゃん参上!!」
 
「いや、誰も呼んでねぇし!飛び出してもねぇだろ!!」
 むしろ這い出てきたよな……。
 
「可愛く、『ギョボ』って呼んでね☆」
 洋司のツッコミを無視して、ウィンクを一つ。
「いや、どこをどうすれば可愛くなるのかが分からない(汗)」
「もぉ~、いいから呼んで!」
 仕方ないな。
「……ギョボ」
「その言い方じゃ、可愛くない」
「だから、言い方の問題じゃ……」
 ギョボ子と言ったその幼女が頬を膨らませる。
 何が何でも可愛く呼ばれたいらしい。
「ぎょ……ギョォボ?」
 少し伸ばしてみた。
 すると、ギョボ子は頬を緩ませ、ニヤついた。
「うふふ、やっぱり私って可愛い☆」
  
「……基準が分からない」
 
「それより、あんたの名前は?ヒトの名前を聞くときはまず自分からって言うでしょ!」
「てめぇが勝手に名乗ったんだろうが……」
 いや、こいつにまともな突っ込みは通用しない。
 ほんの数分の会話でそこまで悟った洋司は、素直に名乗った。
「洋司。妻夫木洋司」
「プッ、変な名前~。爪楊枝みたい」
 鼻で笑いやがった。
「てめぇにだけは言われたくねぇぇぇえええええ!!!」
 つ、疲れる……。
 
「っつかよ、てめぇなんなんだよ!なんでテレビから出てきてんだよ!」
 ギョボ子は、軽蔑したような眼差しを向けてくる。
「あんた私の話聞いてたの?私は、呪いのビデオの怨霊で、あんたを呪い殺しに来たの」
「あ~、さいですか……。だったらさっさとやってくれ」
「むっ、信じてないわね!」
「いや、信じるとか信じないとかの問題ではなく……」
 展開についていけないだけなんだが。
 
「ほんとなんだから!私がチョンと合図すれば、あんたの左冠動脈が閉塞して心筋梗塞するんだから!!」
「呪いの割には随分と専門的な殺し方するんだな……」
 もっと、原因不明死とかのがらしくて良いと思うんだが。
「そういうもんなの!今の医学じゃ、どんな方法で殺したって検死で死因が分かっちゃうんだから。だからこっちも分かりやすくした方がいいでしょ」
「左冠動脈の閉塞は、あまり分かりやすい殺し方じゃないと思うが……」
「もぉ、イチイチ煩いのよあんたは!今回の相手は、ほんとやりにくいわ……今までの奴らは私の顔見た途端、恐怖に慄いてのた打ち回ったのに」
 まぁ、それが普通の反応なのだろうが。あいにくと、今の洋司は死を恐れていない。
 
「いいから、さっさとやれよ。心筋梗塞だろうがなんだろうが」
 洋司は、両手を広げてまいったのポーズを取った。
 殺すんなら一思いにやってくれ。
「……」
 その様子を見て、ギョボ子は更に不機嫌そうになる。
「やっぱ、なんか気に入らないわ、あんた」
「何がだよ?」
「あんた、このビデオを見てから、全然助かろうとしなかったでしょ。今だってそう。
最初は、私の事を信じてないからと思ってたけど、そうじゃない」
「あぁ、信じてるさ。一応、不思議な事が起こったからな。呪いがあってももう不思議じゃない」
「だったら、なんでそんなに落ち着いてるのよ!諦めるの早くない!?だってあんた死ぬのよ!!」
 何をやってるんだろうか、この娘は。
 呪い殺す側の存在が、まるで殺される事を望まれるのを嫌がっているような。
「俺は、死にたいんだ」
 洋司は、ハッキリと要望を口に出した。
「呪われたのは想定外だったが、いずれは自殺するかもしれなかった。だから今お前が俺を呪い殺した所で、何も変わらない」
 洋司の言葉に、ギョボ子は全身を奮わせる。
「気に入らない!気に入らないわ!!あんたみたいな人間、生きてる価値なんかない!信者絵バインダー!!」
 
「だから、さっさとやれって」
「分かってるわよ!!」
 ギョボ子は、右手を上げて、勢い良く振り下ろす。
「血管よ、縮まれ!!!」
 それが、呪いの言葉なんだろう。
 洋司は、これから来るであろう甘美な死の香りを待った。
 しかし、いくら待ってもそれはやってこない。
 
「どうした?早くやれよ」
「あ、あれ?」
 ギョボ子の顔に焦りが生まれる。なにやら想定外の出来事が起きているらしい。
「お、おかしいな。なんで?なんで殺せないのよ!!」
 ギョボ子は、何度も呪いの言葉を唱えるが、全く効果が無い。
「おかしい!こんなのおかしいよぉ!!なんで殺せないの!?」
「知らねぇよ」
「あ、あんたもしかして強烈な霊能力者だったりする!?」
「そう、見えるか?」
「全然」
「だろ?」
 
「じゃ、どうして……まさか、プログラムが書き換わった?!」
「プログラム?」
「そう、この呪いは、ビデオテープに呪いのプログラムを念写する事で完成するの。でも、その念写が書き換わってるとしたら……」
 幼女は、おもむろに、ビデオデッキに手を伸ばす。
「ちょっと、呪いのビデオどこやった!?」
「デッキの中に入ったままだ」
「じゃ、再生するわよ!」
 ……。
 ………。
「再生ボタンどこ!?」
「……俺がやるからどけ」
 仕方なく、洋司は再生ボタンを押してやった。
 再び三日前に見た映像が目の前に広がる。
 洋司としては既に見慣れた映像だったが、ギョボ子はまるで初めて見るような顔をしていた。
 
「な、なによ、これ……映像が違うじゃない!?」
「はっ?」
「内容よ!内容!!呪いのビデオの内容が、最後の文章以外全然違う映像になってるの!!」
「……」
 ようするに、洋司が持っている呪いのビデオは、実は呪いのビデオではないって事だろうか。
 しかし、だったら何故呪いのビデオの怨霊が洋司の前に現れるのかが分からない。
 
「誰かが、呪いのビデオに上書きしたとかか?」
 それなら、元は呪いのビデオなわけだから、怨霊が現れても不思議ではないし、完全な呪いのビデオでなくなってもおかしくない。
「それは、ありえないわ。だって念写された映像は、普通の光映像なんかじゃ上書きされない。もし、上書きされるとしたら……」
 そこまで言って、ギョボ子はハッと顔を上げた。
「あんた!このビデオを、何か強い念の篭った物に近づけたりしなかった!?」
「念の篭ったものに?」
 洋司は記憶をめぐらせた。
 そういえば、ビデオを再生する前に、ケーキの上にビデオを落としたんだ。
「ケーキ」
「は?」
「ケーキの上に、ビデオを落とした」
 さすがに、それは無いだろうと思ったが、ギョボ子は血相を変えた。
「そのケーキ、残ってる!?」
「あ、あぁ……」
 その気迫に押されて、洋司は冷蔵庫に入れていた潰れたケーキを取り出した。
 そのケーキをマジマジと見つめて、ギョボ子はため息をついた。
「はぁ、凄い念を感じるわ……。これは上書きされて当然かも」
「??」
「あんた、凄い想いを込めてこれを作ったのね。ううん、ここにはあんただけじゃなく、もう一つ別の念も入ってる」
「あ……!」
 ギョボ子の言葉を聞いて、洋司もようやく理解できた。
 そうか、このケーキには洋司や愛理の念が篭っていたのだ。
 その念が、ビデオと触れたときにテープに念写して、テープの映像を書き換えてしまった。
 
 と、すれば、あの映像は……。
「愛理の、口の中……って事か」
 愛理は、あのケーキを食べたかったのだ。それだけが心残りで、ケーキを食べると言う念をテープに念写してしまった。
 それが結果的に呪いのビデオの呪いをゆがめてしまった……。
 
「はぁ、こうなった以上仕方ないわね」
 ギョボ子が心底ガッカリしたようにため息をつく。
「どうするんだ?」
「どうするもこうするも、何もせずに帰るしかないでしょ。呪いのプログラムが書き換えられた以上、私には何もできないわ」
「俺は、殺されないのか?」
「死ぬも生きるも、あんたの自由よ。でも……」
 ギョボ子は、テレビ画面の中に帰ろうとして、ふと足を止めた。
「あんた、才能あると思うわよ。私の呪いを上書きする程の念を込めてケーキを作れるんだもの」
 それだけ言うと、画面の中に帰っていった。
  
 
「……」
 一人残された洋司は、呆然と、床に膝をついた。
「俺は、生かされた、のか……?」
 ずっと、愛理の所に行きたいと思っていた。
 それだけが、償いだと思っていた。
 だが、それは愛理自身の手によって阻まれた。
 洋司は、愛理によって、生かされたのだ。
 
「そうだよな……」
 愛理は、死の運命を突きつけられても、洋司を恨まなかったじゃないか。
 それどころか、なおも洋司のケーキを食べたいと譲らなかった……。
 
 だとしたら、これから洋司が真にするべきことは、一つしかない。
 
 洋司は、目の前にある潰れたケーキを指ですくい、舐めた。
 最高傑作のそのケーキは、ようやく人の口に辿り着くことが出来たのだ。
「……美味いよ、愛理」
 
 洋司は立ち上がり、キッチンへ向かった。
 
 そして、菜箸と脂ぎった両手鍋を手に、ガスコンロに火をつける
 新たなるオリジナル洋菓子を作るために……!
 
 
 
 
     完
 
 
 

 

 




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